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こくりこっくり25時間
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人と付き合っていくってむずかしい。
でも多分、難しく考えるからむずかしい。
何にも気にしないで好きにふるまってりゃすごく楽なんだろうけど、
でもそういう風にはいられない。
何でもかんでも相手のことを気遣ってもいけない。
そしたら自分が消えてしまう。

私は初対面でしかもそれきりの付き合いの人と喋るのが好きで、
名前を知ってる程度の人と3回目から7回目にしゃべる時が一番好きじゃない。
常に1メートルぐらい人との距離がほしい。
人が蜂の巣状に並んだ部屋にひとつずつ心の領域をもつとしたら、
私の部屋の壁は柔らかすぎて隣に押されて変形しちゃう。
柔らかすぎてって言うより、抵抗したくない気持ちがある。
中身に色があるけど、弾性とハリがない。
他人を一部でも否定するのって怖いしめんどうくさい。
でも譲れない芯の部分は人一倍強く持っているから、
我慢ができなくなると全部放棄して押し出されるように芯をもってそこから逃げ出す。

でもガードを抜けるのが上手い人ならすぐ傍に来てくれたほうが嬉しい。
たまに自分のこだわりやなんかの芯は自分の部屋に置いて、
やわらかい「自分」ひとつで部屋に遊びに来てくれるような人がいる。
これは年上の人に多い。
年下の人相手だからこそ、いつものこだわりを捨てて付き合える部分があるのだと思う。

もしくは、向こうの部屋を暫定的に私のと同じくらい柔らかくして、
対等に渡り合えるようにしてくれる人がいる。
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自分の角度からものをみて、ものをいうのはすごく難しい。

このブログの記事も、
たとえば電車に乗ってるときなんかにあとから思い出して

「ああいう風にあのことを批判したけど
 こう考えたらあのことがああなっていることも分からなくない」

とか

「わたし性格わるいな」

とかおもうことがある。
たいていの人の言い分は考えればわかると思う。
しかも、すでに提案されていて
すでにその支持者もいるアイディアを取り込むことは
安心してできるしすごく楽。

だから自分の思うことをしっかり持っておくのはすごくむずかしい。

だからこうして気取らない飾らない自分の言葉で
自分の角度を削りだしていく場があるのはよかったなと思う。


…と、

「なぜここに辿りついたのかわからないのだけれど、とても共感出来るなぁと思って。みんな抱きしめながら...実習頑張ってください!」

というコメントをいただいて思いました。
KYとデリカシーのバランスが人それぞれでおもしろい。
それなりに似通ったものの様な気がするけど、みていると全然ちがう。
比べてみるとどちらが自分にとって大切かも分かってくる。

ある友達が、解剖で摘出した犬の筋肉を見て
「カルビみたい!焼肉行きたい!」と言い出した。
何人か集まって焼肉に行くことになったようだけど、
どうなんだろうそれ。
ねえ、「獣医さん」のタマゴたちよ。
大学がはじまりました。
解剖の授業もはじまりました。
週に丸2日かけて動物のからだを勉強します。
今は骨学で、骨の標本触ってるだけです。
解剖実習は28日からです。
刻一刻とその時が!!ひい!

続きはすこしグロ注意です
JG
ジェーン・グドールさんの講演を聴きに行きました。
イギリスやアメリカでは雲の上の人みたいな扱いらしく(知らんかった…)、外国人の方が多く来てました。
しかし彼女のパワーは凄いね!
二十代前半で友達一人を頼って単身アフリカに行って、研究者の秘書の仕事を見つけ、自分の研究を見つけて未開の森に入って朝から晩までチンパンジー観察…
すっごいね!
大型類人の特徴から人間のことを研究しようとしている学者さんは多いようですが、私の会った人たちはみんな凄く穏やかで神々しい感じがする。悟りを開いてるw
自然と向き合ってヒトをみるからでしょうか。
いままで会ったこともなく、本も一冊しか読んでない(しかも読み途中)なのに、何故かじんわりと懐かしい感じがしました。
久しぶりに英語を聞いたからかな、とも思ったけど彼女のはイギリス英語だし、やっぱり彼女のオーラに飲まれたんだろうなぁ。

彼女は科学者でありながら、精霊の存在を信じているという変わったスタンスの持ち主でもあります。
っていうか、前述したような科学者の中には多いのかもしれません。
彼女の著書「森の旅人」もそういう思想を中心に描いています。
彼女の一生はなるべくしてなった、と。

私は基本的にキリスト教を信じてません。
例え精霊であっても、100%善いものって世の中にあるとは思っていないからです。
でも、世界にはあるべくしてあるな、と思うものがたくさんあります。
「これ絶対誰かが仕組んだだろwwwww」っていうあれです。
だから世界を大雑把に組み立てて、最初の有機物を作り、細胞を組み立て、RNAを初めとする核酸によって形質伝播の能力と進化の可能性を与えて、「さて、どうなるかな?」ってみている、そんな存在の「善い面」が神とかアッラーとかなんとか呼ばれているのではないかなと思ったりします。
「善い性格も悪い性格も持った大きい人」はいるんじゃないかな、という結論です。
私はその存在を崇拝したりはしないけど、「すげえなあいつ」って一目おいているということです。
もしかしたら一人じゃないかも知れないしね。グループプロジェクトとしての世界かもしれないしね。大きい人の世代ごとに方針も違うかもしれないしね。
まあ私のような小さい人がどんなに頑張ったって真理をつかむことは出来ないのでしょう。

数千年後の未来には、あるいは。
それまでに、大きい人たちが廃れきったこの世界を見放さないといいんですけどね。


ただのひねくれかも知れないけど。
ジェーンさんの本を読んでいて、拉致事件があったときも、旦那さんが癌で苦しんで亡くなったときも悲しくなることはあっても泣くことはありませんでした。
ただ一節だけ、ふっと読んでわっと溢れてくるものがあったところが、チンパンジーが森の陽だまりの中でのんびり毛づくろいをし合っているのを見つける場面でした。

森と一緒に暮らしてる動物の姿って、当たり前のようで実際にみたことのある人ってそう居ないだろうな。
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